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コンボムービーについて

1.はじめに

コンボムービーについての自分の考えをまとめた事を書いておきます。

コンボムービーと書いているけれど、コンボムービーでもコンボ動画でもコンボ集でも他の形式でも、格ゲーの動画全般について書いています。普段自分が明確に使い分けていないので適当です。ややこしいので以降は単に「動画」で表記。

ひどい乱文かつ長文になるので、あえて他の人向けの結論だけ先に書くなら
「他人もあなたと同じ考えとは限らない、けれど、好きに動画作ればよいし、好きに見ればよいし、好きに遊べばよい」
という個人主義的な動画論です。
論というよりロジックではなく感情ベースの感想文です。
誰かに何かを主張する事を目的としたエントリではないので、結論自体は毒にも薬にもなりません。

これを書くことで動画製作者の助けになろう、動画作らない人に分かりやすく解説しようとか、そういう考えもなく、わけがわからなくなる前に現時点の自分の頭の中を整理して残しておこうとだけ思って書きました。

また、書いているのは私個人の考えや感想であって、動画製作者は皆こう考えているとか、コンボゲーの動画製作者だと皆こうだとか、そういった事は一切ありません。
ジャンルやカテゴリ分けは表面的には共通点を見出せそうですが、個々に根本的な部分が違う事に気付けないように思います。

こんな面倒なことイチイチ考えなくても、動画なんて~でしょ、つまりこういう事でしょ、と一言で言ってしまいたくなる気持ちや、楽しいからやってるだけ、気晴らし、みたいな感覚は、それはそれでその通りでよく分かります。
自分も普段から面倒な事を考えながらゲームをしているわけではありません。

ここに書くのは極論であって、色々行き詰ってこじらせたあげく、仕方がないので、一体自分が何をやってるんだという事を無理に言語化していくとこうなったという結果です。
書いている人間がかなり極端な人間なんで、やたら大袈裟に見えると思います。

まとめるとコンボムービーポエムなんでもう色々勘弁して下さい。
文章に書いた時点で書いた本人でも違和感あるし、日によって全然違う事を書き出しそうではあるけど、今書くならこうなりました。


2.何のために動画を作るのか

基本的な問いですが、動画作るにあたって根本になる話だと思っていますので、最初に書きます。
よくある作成目的を列挙します。

有用なコンボ/起き攻めなどの動きをまとめて紹介したい
こんな面白いコンボがある事を示したい
このキャラはこんな動きが出来る事を示したい
研究した成果を動画にしてまとめておきたい
撮った画と曲を合わせて一つの作品をつくりたい
作った動画で皆を楽しませたい
ゲームの盛り上げに貢献したい
面白いゲームである事をアピールしたい
良い曲である事をアピールしたい
作った動画を、自分を評価されたい

など

目的、動機も一つではなく複合していると思います。
その動機の中で、何を重視するかが、その人が作る動画の決定的なスタンスを分けるのではないかと思います。

私の場合も色々絡まっていますが、一言で言うとすれば、自分が見たい動画を自分で作る、という事が第一義に来ます。
他の人へのアピールより、自己満足の要素が強いです。
では自分が見たい動画というのはどういうものか。


3.作りたいもの、見たいもの

ありていに言えば、自分は動画で、何かしらの異常が見たいです。
いつも目にするものとは違うもの、何かしら異質なものが見たいです。
いつもやってるゲームから、はみ出していくものが見たいです。

なぜ見たいかと言われると、そうしたものが出てくる原因に行き当たります。

自分が動画として形にしたいと思うのは、何かしら自分の、過剰なもの、を表に出したいという願望によっているような気がします。
また同時に人が持ってる過剰なものが形になったものを見るのが好きなようです。

過剰なもの
対戦では発散できない(むしろ抑圧している)もの
ゲームへのこだわり
プライド、美意識
執着心
苛立ち
こういった言語化をそもそも嫌う感情

前向きなモチベーションの事もありますし、行き場のないストレスの事もあります。
むしろ自分の場合、行動の原動力は主に負の感情だったりしそうです。
そうしたものが動画に顔を出します。

それは
趣味に極端に寄せた選曲であったり
過剰に感じるほどの編集であったり
実用性皆無なコンボやネタの事もあれば、
その逆の自己抑制が効いた、自分を表に出さないストイックさになる事もあり
素人とは思えない洗練であったり
再生数、反響や影響力へ向けたやりこみであったり
分かりやすさを追求した構成や字幕であったり
皮肉っぽさや諧謔や包み込むユーモアになったりします。

真逆に見えるものでも、それは表裏一体のものではないでしょうか。
ハイレベルな内容を自分の色を出さないように淡々とまとめている動画も、それはそれで逆に製作者の存在を強く感じます。
動画制作者の人間のやりこみを通して、ゲーム製作者によるゲームの素晴らしい作り込みに触れられたり、ゲーム製作者の想定すら超えるようなものを目にする事もあります。

稚拙さゆえのアンバランスにも、どこかしら表れてくるものがあります。
他人に伝わりやすい形で、上手に昇華された動画はそれは素晴らしいものですが、同様に好きな事をキメラのように継ぎ接ぎした歪な動画も悪くありません。

こう私が思うのは
どんな事であっても人一人が何かしら真剣にやるのではあれば、それは絶対にどこか面白いはず、
と信じているからです。
それがゲームをすることであっても、対戦する事であっても、動画を作る事であっても、ガキのお遊びであっても絶対に面白いと思います。
有用か無用か、益か害か、良いか悪いか、世間的な評価が得られるかどうか、と言われると分かりませんが、面白いか面白くないかなら、間違いなくどこかしら面白いです。
それは人間が何かに打ち込む行為自体が面白いからであり、それが結果として出力されるものに反映されてくるからです。

どういう形であっても、その人の何か収まらなかった、溢れだしてくるものに動画を通じて触れたと感じた時、少しだけ日常からはみ出した気になれます。少しだけテンションが上がります。

実際の所、視聴した人間が、作った人間の思いなんてものが、本当に理解できるかというと多分そんなわけはないです。
それは言ってしまえばただの錯覚です。
ですが、その錯覚を強く感じられる動画が、自分にとっては見たい動画となります。

自分が見たい動画を作る事を目的としている私は、ある意味、視聴者として見た自分が錯覚出来る動画を作ろうとしているのかもしれません。見ている自分に、これは本物なのではないか、という錯覚を起こせる動画を作ろうとしているのかもしれません。

では、お前は自分だけが問題なのか、他人は全く関係ないのか、と言われると、そんな事はありません。
自分だけが見られればいいなら、そもそも公開する必要性がありません。クレジットを付ける必要性も、動画を作ったとどこかで発言する必要性もありません。そこには必ず他者の目への意識が存在します。
動画を見てくれる他者は意識しますが、その他者を捉える時に、視聴者としてネットのどこかでそれを見る自分を第一に想定して、動画を作っているというわけです。

作った動画に反響があったり、誰かに褒めてもらえたりすると当然嬉しいですし、全然だめだと言われると凹みます。
それはつまり、動画も、自分も、評価されたいと思っているからです。
ただその評価を一番上には置いていないだけです。


4.動画の価値

その実用性によって、コンボやテクニックの紹介動画は必要としている人には価値はあるわけですが、ここではその動画を気に入るかどうかについて、どちらかというと動画一般というよりコンボムービー寄りの話を書きます。

前提として、自分は、動画に、コンボムービーに、普遍的な価値を認めていません。
いつ誰が見ても素晴らしいと感じる動画が存在すると信じていません。

それは単純にガキのお遊びに価値なんてあるわけないだろ、という話ではなく、コンボムービーがある程度共通したバックグラウンドを持った人間でないと伝わらない形式だと思うからです。

そのタイトルだったり、格闘ゲームだったり、そもそもTVゲームに理解がないと良さを伝えるのは無理です。
同様にある程度同じ系統の曲を好んで聴いている人でないと選んだ曲で拒絶される事が多いでしょう。
曲自体が自分の嗜好から外れなかったとしても、それをゲーム画面と合わせることに不快感を覚える人もいると思います。

本当に素晴らしい作品であれば、誰の心にも響くはずだ!という意見はすごく魅力的ですが、
少なくとも、例えば私自身の親に、自分のものであろうと他人のものであろうと、どんな動画を見せても、間違いなく評価は得られないでしょう(得られるとすれば、それはもうコンボムービーの形式ではないか、別の要素についてでしかないです)

更に言うならば、仮に同じバックグラウンドを持っていても、本質的な理解は非常に難しいと思います。

格闘ゲーマーであれば理解されるでしょうか?
格闘ゲームは基本的に人対人で遊ぶことを前提にデザインされたものであり、当然ですが対戦がその格闘ゲームの通常の遊び方となります。
コンボムービーはその対戦要素のごく一部を切り取って、時にはそのコンボですら対戦を想定しないものにしていう事さえある、ものすごくニッチで限定的な遊びです。
実用本位のコンボを余計な装飾なしに分かりやすく見せる動画であれば理解されやすいかもしれませんが、対戦に関係ない要素には全く価値を見出せない人がいるのも当然でしょう。

ある程度似通ったタイトルで遊んでいる場合はどうでしょうか?
私は自分が遊んでいないタイトルの動画を見ることも好きですが、そこで行われているコンボの良し悪しは本当は理解できていないでしょう。
私自身、自分で遊んでいなくても、ずっとそのタイトルの動画を見ていると分かってる気になってくるし、タイトルが違っても何となくコンボのポイントというか意味が理解できるような気がして、全く触っていない動画でも良し悪しを評価できそうな気になったりしますが、それはただの勘違いです。
少なくとも実際に自分で遊んでそのコンボをやった場合の理解とは隔絶しています。

同じ理屈で、同一タイトルを遊んでいたとしても、同じキャラを使っていても、理解はしやすくなっても完全には分からないでしょう。

同様な事が編集面でも言えます。
何を意図して行った編集か、どこを強調したかったか、その編集を行う手間がどれほどのものなのか、想像することも出来ないか、想像しても完全に分かりはしないでしょう。

それは、動画を作るという能動的な(直接的な)体験と、動画を鑑賞するという受動的な(間接的な)体験は全く別のものであるからです。

そういった意味で、その動画を唯一理解できているのは作成者自身です。
動画に込めた意味もこだわりも喜びも苦しみも作った人間のものです。
知った風な事を言い捨てる人の言葉も、自分の決めたもの以外受け入れない原理主義者の人の言葉も、それを侵すことはできません。
作った本人が本当に最高だと思っているなら、その動画は最高です。
自分が動画に求める価値とはそういうものですし、自分にはそれで十分です。

しかし、同時に、誰かがその動画を見て、これはゴミだと思ってゴミと言ったなら、それはゴミでもあります。
少なくとも言った人の中では。
動画を見る人が、作った人間の苦労を斟酌する必要はありません。
どう判断するかは見る人間の勝手です。動画の製作者がそんなつもりではないと言ったとしても、そんな事は関係ありません。
自分が求めるもの、善しとするものに反していればダメだと断じるのは自由です。
逆に製作者が自分の作ったものに対して、それはゴミだ、それを評価するのは分かっていない、と言ったとしても、見た人間が感じた価値を減ずることも出来ません。その評価も感動もその人の物です。

ただし、最高もゴミもそのどちらも、あくまでその人が持つ価値基準に基づいてのみ成立するものです。
いかなる理論も正当化も全てはその人の価値観の上でしか構築出来ません。
動画や音楽の意義や歴史やどんな理屈を持ち出しても、前提となる土台はその更に下にあります。
同じ動画を指して、ゴミだと言った人言う動画はゴミな事は、最高だと言った製作者の動画が最高な事と矛盾しません。

これはよくある相対主義的な見方で、そもそも相対主義を適用して良いかといった議論がありますが、科学で真理を追究しているわけでもなく、趣味として動画を作っており、動画に求めるものも個々人で違い、嗜好の問題であると思うので、自分はこの立場で判断します。
(これは趣味の話が、個人の趣味嗜好に拠っているという、特に意味のない当たり前の事を言っているだけで、相対主義がどうこうの話ではないです。動画作成、視聴がそもそも趣味ではないという人の場合は前提が違うので当てはまりません)

よって自分は嫌いだ、こうした理由で嫌いだ、ゴミだ、見る価値がないといった意見は受け入れますが、何か絶対的に見える尺度を持ち出して、特定の動画を排除しようとする意見には賛成できません。直接的な言葉でなくとも、理解を示したその言葉の裏に絶対化した価値基準が見え隠れする態度も好きになれません。
不寛容は不寛容で殴り返されるでしょう。

あるいはどこかに動画の神様がいて、絶対的で明確な基準で点数付けをしてくれるかもしれませんが、そこで高得点な動画を自分が好きになれるかは疑問です。

動画の価値は個々人が決めるものと自分は思っています。そしてその価値を他人が認めてくれるとは限らないのも当たり前だと思っています。


5.数字

誰かに何かを伝えたくて動画を作るのであれば、その成果を計る基準として再生数は一つの基準となるでしょう。
同様にマイリスト数やお気に入り数やチャンネル登録数やRT数など、そうした数も影響力を計ることができると思います。

繰り返しになりますが、何を重視するかは、製作者の動機に拠っていると思います。
より多くの人に伝えたいと思ったなら数字を見て目標とするのは当然でしょう。
動画作成で数字を取る事自体だけが目的という人はまだ見たことがないので、目的の達成度評価としての扱いかと思います。
数字自体は絶対です。曖昧な判断が入る余地はありません。

そうやって動画を通じて何かを伝えようとしている人、ポジティブな影響をもたらそうとしている人は素晴らしいと思います。揶揄ではなく素直にそう思います。
ただ、私はそうした事を主要な目的とはしていないので、数を持ってどうこうする事はありません。

製作者としての立場では、再生数はもちろん多いと単純に嬉しいですが、個人的には3桁行けばもう十分成功だと思っています。
こう書くと綺麗事言いやがってと思われそうですが、過去の自分の感想を追いかけてみるに、割と真剣にそう思っているようです。
2桁だと知人に見せてるのと大差ないので、あえて動画を公開する意味が薄い気がするのですが、3桁いくと、それはつまり100人以上が見ているわけで、その時点で快挙なのではないでしょうか。個人の趣味の製作物がそれだけ見てもらえれば十分すぎる気がします。
10000と100000にどんな差と意味があるのか、正直ピンときません。
その上でその動画を好きになってくれた、気に入ってくれた数とか、もういくらでもいいです。
自分の動画を通じて伝わるものがあるとか、それは奇跡、というのは大袈裟だとしても、かなりラッキーの範疇だと思っています。
そもそも人に何か伝えられる事をあまり信じていませんので、こういう感想になります。

これは、自分の動画がこれまで幸運にも多くの人に見てもらえていた事が既に分かっていて、承認欲求が満たされている状態なので、こんな事言えてしまうのかもしれません。
数を求めている人にはこんな事言っても何の救いにもならないでしょう。
でもこれが自分の今の正直なところです。

視聴者としての立場では、同様に数字の大小はあまり気になりません。300万再生の動画が100再生の動画より、必ずしも良い動画だとは思いません。

しかし、逆説的ですが、客観的な指標である所の動画の再生数を一つの目標に、真剣にやり込むその人の姿勢自体が、同時にその人の過剰なものを動画に表現していくように思います。自分は再生数自体はあまり重視しませんが、自分がやっている事を、真剣に誰かに伝えようとしている事が動画を通じて伝わってくるように思った場合は、その動画はお気に入りになってます。

また、編集をやり込んでいる動画が数字を伸ばしやすい傾向にあるため、編集が凝っているその事実だけでなぜかコンボは大したことないと判断されていたりするのを見ますが、動画によっては、全くそんな事はありません。両立を目指しているものもあります。
実際、再生数を真剣に見ていくスタンスで作っている人の動画は、自分の中でもヒット数高いように思います。


少し話は変わりますが、視聴者としての話をもう少し書くと、私は自分がやってないタイトルであってもコンボムービー、コンボ動画の類であれば割と何でも見ます。時には格闘ゲーム以外のコンボの動画だったりもします。
そういう意味では雑食ですが、それが視聴者として"良い"見方だとは別段思っていません。

何でも手を出すのではなく、ジャンルや形式を絞ってじっくり見る事は、そのゲームのシステムやコンボなどを十分理解した上での視聴となり、動画の理解度も高まるでしょう。
そんな中普段そのゲームやってない人間が、これは良い動画!とか言いだしても、首をかしげてしまう事でしょう。
ジャンル問わず数を多く見たから良い視聴者、特定の動画しか見ないから悪い視聴者という事は全くありません。

しかし視聴の仕方も感想も、動画作成同様に、個人の自由であり、強制されるものではありません。
(自分が見た際につまらない動画に)他の人がコンボが面白かったというのは、その人のただの感想です。
咎められるとすれば、他に比べてコンボレベルが高いとか、その動画以外はいらないとか、その動画だけ見とけばいい、とか客観視点かのような否定を言い出した場合に限られるかと思います。

自分がやっているタイトルで、もっと(自分が思う)優れた動画があるのに、そんなでもないものが再生数だけ稼いでいる!おかしい!みたいな気持ちはよくわかるし自分で思う事もあります。そうした旨の事を口に出してしまった事もあります。
でもやはりそれは当たり前の事です。

動画は、私の中では数少ない、加点評価で楽しめる貴重な趣味なので、これからもジャンル、数字問わず見ていくと思います。
それが良いとも悪いとも思わないですし、視聴者としての姿勢の違いがあるだけだと思っています。


本当はどうやって再生数を伸ばすかなど、技術面のお役立ち情報でも書ければよかったのですが、自分自身がその知識もノウハウもないので、残念ながら書けません。

技術面以外で一つ書けるとすれば、何か強烈な"ヒキ"になるものを、一つだけでもいいから用意する事です。
今最も旬な(話題に上がっている)ゲームである事、スーパーハイレベルなコンボがある事、インパクトのある画があるとか、そういうもの以外にも、話題に上がりやすい選曲など、何かしら動画を話題にしやすいキーワード、したくなる要素があると拡散力が大幅に上がります。
そういった外連味、色気を少し加えるのが数を取るには良さそうに見えます。

嫌われない選曲に頭を悩ましたり、動画の細部に至るクオリティアップや、細かい編集に多大な労力を費やすよりは、武器を一つでもいいので持った方が伸びやすいように思います。
ただしこれは諸刃の剣でもあります。自分が何を目的としているか、確認した上で決めればいいように思います。


これまでの項目で、自分なりの動画の捉え方について一般的な部分を書きました。以降は主に動画製作する際の、自分個人の話に絞って書きます。


6.コンボ

動画を作ってる間で、いつが一番嬉しい瞬間か、と人に聞かれたら、自分は作ってるコンボが完走出来た時だと答えます。
技術の習得は、有用かどうかやその難易に関係なく、それ単独で十分楽しい、やりがいの感じられるものだと思います。

コンボ自体の純粋な追求という意味では、マクロなどを用いて、操作技術の問題をクリアした上でないと辿り着けない所もあると思いますが、私は自分自身の操作でのコンボ制作に興味が向いています。
(マクロを用いたコンボ作成を否定するつもりは全くありません。むしろ1視聴者としてはもっとマクロで詰められた動画が見たいと思っています)

残念ながら自分の操作技術は他の人に比べて高いとは言えません。謙遜とかではなく、同程度の期間触ってる複数の友人と比べてみたら、かなり不器用な部類に入る事を認めるしかありませんでした。
それこそレバーの持ち方から矯正しようと、色々足掻いたりもしましたが、今でもそれほどレベルは変わっていません。
不器用なのが分かってるので、対戦では妥協しすぎだろと指摘される程度の安定コンしかしません。

そういう人間が、難易度としては実戦コンボと比較にならないレベルの高難易度コンボをやろうとするから無理があります。ひどい試行回数になります。
コンボをパーツに分けて練習して、パーツ間の繋ぎを動画撮りして後で見て修正して、操作が追い付かない時はキーコンフィグの割り当てを変えたり、ホールド入力など苦手な操作はコマンド入力の手順を書き出して覚えたり、ひたすら地道な反復です。

そうやってかなりの時間と労力をかけて、何かの拍子に成功した時はそれはもう嬉しいものです。すごいものが作れた、ついにやった!という喜びで震えます。もっとも翌日の朝見直すと、全く大したことがなくて絶望するわけですが。
その繰り返しを一つの動画にまとめています。

思うに最初からある程度に器用に出来ていたら、ここまで無謀なコンボ難度の設定も、異常な試行回数もやっていなかった気がします。不器用なせいで高難易度のコンボ、普段見ないコンボへの強いあこがれがあったように思います。
そこを起点にして、非実戦的な、大道芸のようなコンボを目指して作るようになりました。

そのゲームをやっていればコンボ中のキャラの次の動きはある程度予想が付くものですが、その予想の範囲外に時々飛べるコンボを目指していました。
縛りの緩さや、状況設定の不自然さはその目的のための手段の一つです。多少邪道であろうが、少しでも面白くなるなら使う事が多いです。
ゲージMAX、設置技の事前設置、バグ利用など、使った時点である程度それっぽく出来てしまって安易な作りになりがちですが、それを前提にして更に詰めていく作業は、通常の実戦コンボを詰めるのとはまた別の難しさがあると個人的には思っています。

実際はやっていくうちに妥協を重ねてしまって、最終的な出力が残念なコンボになってしまっているのは頭を抱えてしまいますが、少なくとも作ってる内は夢中になれたコンボを動画に入れています。


7.選曲と編集

選曲の話をする上で避けて通れないのは著作権の問題です。
それ以前にゲームの動画使用についても著作権の問題があります。

避けては通れませんが、自分はこの件に関して特に言える事がありません。
他の方がどうとは言いませんが、少なくとも自分がこれまで上げた動画は著作権者の利用規定の範疇外です。つまり著作権侵害に当たります。
(現時点では)非親告罪として告発されたことはないので、訴えられなければ罪ではないみたいな理屈とか、結果ユーザー、ファンを増やしているから良いとか、そもそも著作権法は正しいかとか、そういう話以前の問題として単純に有罪です。
自分の行為を正統化するつもりはありません。
著作権者に怒られたら全力で謝るだけです。特に何もないです。

最近は、特にPS4以降、ゲーム動画を動画サイトにアップする事はメーカー公認の所も出てきましたし、楽曲利用も限定的ですが許可されている部分もあります。タイトルによっては公式が関与している大会でコンボPVがフィーチャーされている事もあったと記憶しています。これまでと風向きが変わってきた部分はあると思います。
権利関係が全てクリアになった動画を作れるようになるかもしれません。

しかし現時点で少なくとも私は、これまで上げてきた動画その全ての動画を消して、なかった事にしようとは思いません。(著作権者から削除指示があれば消しますが)
権利をクリアして表舞台に立ちたいのなら、これまでの著作権侵害した件を申告して罰金なり払うべきだと思いますが、それもしません。
自分の中でコンボムービーとはもともとそういう問題込みのものですので、あるべき姿とか今後向かう先は語れません。

動画による金銭面やリアルの人間関係に影響するような受益は得ないようにしていますが、これもせいぜいただの言い訳の範疇です。

そのゲームの楽曲であればまだ良いとか、海外のアーティストとかインディーズであれば大丈夫とかそういった話は、削除されにくい、訴えられにくい、などそういう面では成り立つでしょうが、有罪かどうかというと、調べるとほぼ全てのゲームメーカー、レコード会社では無断使用は禁止とされていたのであまり意味がありません。

グラフィティから二次創作などの他のサブカルチャーに絡めた是非などは論じる事が出来るかもしれませんが、あまりする気もありません。この話はこれで終わりです。


選曲の話に戻します。
既に自分の結論は前に書いている通り、選曲も編集も作る人間が好きにやればよいというだけです。
以下は自分の場合はどうかを書いています。

自分の見たい動画を作るのを目標とする私としては、当然自分の好きな曲を使います。
ただ視聴者としての自分が、コンボと曲がシンクロしている部分がある動画が比較的好きなので、好きな曲の中からそういう視線で自分なりにコンボと合いそうだと思ったものを選ぶ事が多いです。

曲を先に決めてそれに合わせてコンボを撮っていく事もあれば、全てコンボを作った上で曲を選んで載せることもあります。

前者であれば、POPSなどの歌ものは、AメロBメロサビと言ったパーツに分解して、単純にその秒数のコンボを想定して考えます。歌が入るものは、そのほとんどが構成がAメロBメロサビと、構成がかっちり決まっているので、意図的に合わせに行かないと上手く行かない事が多いように思います。

曲に合わせてそのコンボのキモになる部分をどうこうは絶対しませんが(そういう意味ではコンボ主体ですが)、前後はコンボ構成を変えたりする事はあります。だいたい編集でカットではなくてあらかじめコンボ撮りの段階で秒数を合わせています。
あまり複雑の事は自分には出来ないので、曲のリズム部分(主にドラム)とコンボのテンポぐらいあっていれば万々歳です。
特徴的なドラムロールやブレイクだけ合わせるようにしても十分それっぽくはなります。

コンボを撮り終えた後で曲選択する場合は、ゲームのそのキャラのテーマ曲(インスト)などを選ぶ事が多いです。曲(歌)の切れ目とコンボの切れ目が不一致な場合の違和感緩和のためです。
妙な作為がない方が自然に見れて良いと思う瞬間もあります。合わないと感じる部分も出てくるので一長一短ですが。

SE(ボイス含む)を載せる載せないは、個人的には正直どちらでもあまり気になりません。
昔は自分の録画・編集方法の問題でSEを入れられませんでしたが、出来るようになってからは入れたり入れなかったりです。
特に何かの影響というより、半分ぐらい気分です。

歌詞有りのもので特に邦楽だと、音声と歌声が混じって喧嘩してしまう部分も確かにあるのですが、勝手に脳みそが別々に処理してくれているのか、ある程度コンボと曲構成がリンクしていればほとんど気になりません。
ゲームのSE、ボイスが被って、音楽単体としてはダメでも動画としてはむしろかっこよいと感じる部分もなくはないです。

逆にSEなしだと物足りないという意見も目にしますが、ある程度そのゲームをやっていると、SEなしでも脳内で勝手にゲーム音声が補完されてしまうので全く気にならないです。やっていないゲームでも勝手に脳みそが捏造してる気がします。
感覚としてどちらでもいけるので、SE入れる入れないという話は製作者側としても視聴者側としても、自分はそこまでこだわりはありません。
もっともどちらの立場の人からもありえないと言われるので、自分の感覚がガバガバなだけの気もしています。

では次に編集の話に、と言いたいですが、これまた技術的に自分に語れる事はほとんどないです。
自分はアイキャッチ(何か一枚絵になれるもの)とトランジション(コンボとコンボの動画の繋ぎのエフェクト)を入れる程度です。
自分でやったコンボを見たい、見せたいという気持ちが強いので、コンボ自体を見え辛くするような編集はしません。
実用コンボ集ではなく娯楽作品ですよという色気を出すためのアイキャッチ(サムネにも使える)と、視聴者の視線を誘導して、よりコンボを印象付けるためのトランジションという扱いです。

編集をしていないわけではなくて、あまり手を入れないのも一つの編集の形であると思っています。
見て欲しい所を見てもらう事と、曲とのシンクロに2点に注力しています。

もう少し凝った、特に動画MAD的な演出や、自分が考えるコンボ・曲展開に合わせた演出の編集なども入れてみたいと思う事もあ
りますが、私個人のセンスと技術の問題で、やった方がよくなるレベルに達さないので毎度諦めています。

もっとも自分個人が見る事を主目的としているのでこういう編集になっていますが、もしそのゲームを知らない層含めて、他の人にもっとアピールしようと思ったら、編集を真面目に勉強したり研究するところからやったとは思います。
動画の見やすさ、見る人の目をひきつける力、印象付け、伝わりやすさなど、編集によって大きく変わります。
特定の層により強くアピールするか、なるべくマイナスとなる部分を排して隙のない構成にするか、戦略は色々あると思います。
そうした試行錯誤はコンボムービーに限定しない、映像作品としてのクオリティに繋がるのだろうと思います。


7.例え話とこれまで

よくある例え話をしようと思います。
コンボムービーを例えるとしたら何がいいでしょうか。
私はコンボムービーを料理に例えるのが一番しっくりきます。

コンボを行為自体も料理する事と通じる所がありますし(コンボレシピとか言いますね)、曲と合わせたり編集したりも料理作るのと共通点が多いように思います。

素材の味を生かせという人もいれば、調理技術でより美味しくという人もいますし、えらく極端なラーメンを見て豚の餌だという人もいたり、こんな料理が持て囃されるようではもう日本はおしまいだ、と説法する人も出てくるわけです。
私の料理が分からないとは味オンチが、という料理人もいますし、美味しいと食べてる人に水を差すのを生きがいにしてるような人もいます。
なんだこの料理は女将をよべい、をしてくる海原雄山も一山いくらで出てきますし、この豚バラ煮込みは出来そこないだ、食べられないよ、とか言い出す山岡士郎も大量発生します。

何がおいしいかは結論の出ない問題ですが、その中で究極のメニューとか至高のメニューを目指してやっていくのは面白い事です。
好き嫌いの意見の正面衝突は宗教戦争にしかならないわけで、ほとんど生産性はないですが、各人が自説を展開しているのを見るのはすごく楽しいです。
美味しんぼはやっぱり初期が面白いですね。

そんな中でも、一番かっこいいのはやっぱり「明日、もう一度来て下さい、本当の◯◯を食べさせますよ」方式だと思いますので、やってみようとしたりしました。

数年前にUMVC3で、Own little worldという曲をBGMに使った動画を作りました。
この曲は、UMVC3にも登場するフランク・ウェストも主人公になるデッドライジング2というゲームで、
フランス料理の帝王を自称する、アントワヌ・トーマスというサイコパス(ボス敵)のBGMとなっていました。

アントワヌ・トーマスがどういう人物か、wikiから一部抜粋

>「フランス料理の帝王」を自称する料理人。40歳。
>料理人としての腕前に絶対的な自信を持っているために雑誌の取材を待ち望んでいたが、
>アウトブレイクの発生によりチャンスを失ったことで理性を失くしてしまう。
>想像を絶する食材(本人曰く「チキンに似た味」とのことである)を用いた「最高の食事」を振る舞うも
>主人公がそれを渋ったことで逆上し、自分の料理を無理やり食べさせようと襲い掛かる。

平たく言うと廃墟で人間を襲って人肉料理を作って自分でこの料理は最高だといいながら無理やり食わせてくるサイコパスです。
曲の歌詞も少しリンクしていて、自分自身の閉じた世界について書かれてます。

選曲理由は、このサイコパスと曲と自分がダブったからです。
この文章でも自分自分と何回自分という言葉を書いたか分かりませんが、自分を重視するスタンスはすぐに、独善的であったり、ひとりよがりだったりと、ひどく狭量な視野に陥りますし、本人としては自分のルールに従っていても、他の人から見ると言動が明らかにおかしく見えたりするでしょう。さながら自分はコンボムービーサイコパスです。

そんなボス敵への自虐的な意味と、しかしその曲の歌詞の、自分自身の世界をスタートとする姿勢に自分と通じるものがあったので選びました。
結果として出来たものは...まあ何とも言えませんが、こういう料理が好きなんだ、自分が好きな料理を作れ、という所は示せたかと思います。

ただし、あの動画は、スタートしてる地点が同じでも、こうなってしまうとおしまいだ、という自戒でもあります。
他人から見てキチガイに見えるのはまずい、という意味でもそれは確かにまずいですが(自分は手遅れのような気もしますが)、一番よくないのは、完全に自分だけの世界100%になってしまうと、そこで多分成長が止まる事です。
主観を修正し続けることが現実との接触を保つことであり、接触が完全に消えると自己完結して終わってしまいます。
それは多分面白くありません。

他人の意見を鵜呑みにする必要はなく、自分の主観を大切にすればいいと思っていますが、他人を含めた現実を見て、主観を修正する事も同様に重要だと思います。
そこで何を取捨選択するかを自分が決めるべきだと思っています。
そんな感じで自分はあーだこーだ言いながら、何とか現実と折り合いを付けて、ここまで動画を作ってきました。



8.これから


ある程度長い間(10年くらい?)動画を作って来て、ここ数年は動画として形に出来ていません。
コンボ作るのは今も好きでトレモなどで遊んでいるのは変わりません。
やっている時間もさほど変わりません(むしろ多い時もあります)
ただそれを一つの動画としてまとめて、公開する所までたどり着けていません。

動画を作り始めた時に、自分なりにおおまかな方針を自分の中で何となく立てました。

自分が見て自分が楽しめる動画にする事
前回作ったものよりはせめてマシな出来にする事
今自分が現役で対戦しているタイトルで作る事
自分が作ったコンボだけで構成する事
実生活と切り離す(動画作成で受益しない)
とか

もともと視聴者として自分が求めるものに、自分の技量が追い付いていないような状態でしたが、それでも何とかここまで誤魔化してやってきました。
しかし長く続けるうちに、あまりにやりたい事と出来る事のレベル差を激しく感じるようになってきました。
操作技術と、発想のどちらも問題があります。

もともとそんなに難しい事が出来ないと分かっているのに、いつの間にか自意識は肥大して、妙なプライドもついて、見る眼だけは肥えていくのに、スキルを磨くのを怠った(かあるいは能力がないだけの)結果なので、自分自身の問題です。
眼高手低とか志大才疎とかいうやつです。

結果として、当初の方針が守れなくなり、形にする前に動画としてまとめるモチベーションが保てなくなっています。
自分は難儀な性格で、固く決意を決めた事は明日になったらあっさり破ったりしますが、何となく嫌だなと思った事は、絶対に何があってもやらないので、このままだと今後も難しそうです。

最近の自分がやってるタイトルや、ネットの事情で、それなりの頻度のバージョンアップがあってやり込みが追いつけなかったり、過去タイトルベースで調整されているせいで過去のキャラと自分と否応なく向き合わなければいけなかったり、ネタやコンボは単発で誰でもすぐあげられる環境で後発となってしまったり、とかそういう面に言い訳をしたくなる事もありましたが、根本原因はそこではありませんでした。

ある程度いつもの感じでやれば、みんな優しいのでそれなりに評価してもらえるんじゃないか、とか甘い算段をしたりもするのですが、そういった時は、いつも過去の自分に責められてしまいます。
下手なりに労力を費やしてやってきた日々の自分にがっかりされそうです。

実生活では動画作ってる人間として表に絶対出ないのも、同様に昔立てた方針に反したくないからです。
他の方の何気ない一言で、どう考えても過剰反応な応答をしてしまう事もありますが、そこらへんの原因も全て同じです。
呪いのようなものです。

社会人になったし、程よい趣味との付き合い方とか、自分の身の丈にあった遊び方とか、気負わない自然体とか、色々考え方はあると思うのですが、どこかで自分の気持ちの嘘を感じます。やっぱり最高を目指したいです。結果としてはどっちみちゴミが出来るとしても。

そもそも、こうして長文を書くこと自体に半端なく勘違いした意識の高さが漲ってますが、どこかでこの意識をリセットしなければ無理だと思っています。スキルアップして正面突破みたいなのは2年ぐらい試して挫折したというか、そもそもそういう問題ではない事に気付きました。

別に動画として形にすることはなくても、対戦したりコンボ作ったりすることは今でもずっと楽しいので、今後も格ゲーで遊ぶと思います。遊ぶことに引退とかそんなものはないです。これまでのようなコンボムービーではない形で動画を上げることもあるかもしれません。


自分の動画を見てくれてた人は、いつか、すぐは多分ないし、今後一切ないかもわかりませんが、コンボムービーを上げる事があったら、多分昔の事忘れて最初からやってる(という態で前と同じように死にかけてるんだな)とでも思いながら、見てもらえると嬉しいと思います。
動画を作られている人は、自分が信じるところの動画を思う存分作ってもらえたら、いつでも喜んで見に行くと思います。


以上、自分がコンボムービーに対して考えてた事と、個人的な動画についてのお話でした。
お疲れ様でした。
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